19 September, 2009

・戦死と言っても半分以上が餓死と病死
・戦地だけでなく、内地も大変だった。東京、名古屋、大阪を始め、全国の大都市はB29の爆撃を受けた。毎日、午前一時、二時になると空襲警報がなる。当時は誰も眠れなかった
・13貫(48kg)以上体重があると闇太りと言われた
・糖尿病が日本国中ほとんどいなかった
・罹災者は一千万人
・昭和20年3月10日、あの日は忘れない。一晩で十万人が大空襲で亡くなった
・翌日、昭和天皇が都内を巡幸された、被災者を見舞われて
・硫黄島の戦いが最も、アメリカ兵も地獄の戦場と言ったぐらい、痛ましい戦場であった
・世田谷区の半分ぐらいしかない島。日本は死んでも守れと命令。日本兵は寄せ集めの二万一千。米軍は精鋭の海兵隊六万一千。
・米軍は白兵戦なんてしない。上陸前に徹底的に艦砲射撃。六隻の戦艦で何日も艦砲射撃。島の形が変わったほど
・これで生きている者はいないだろうと、上陸
・ところが、日本兵が穴の中から出てきて抵抗
・火炎放射で潜んでいると思われる日本兵を焼き払ったが、殲滅できなかった
・日本兵は前もって地下壕をずっと掘っていた。
・数ヶ月の間に二万一千の兵士が全部。地下十メートルから十五メートル。年中硫黄ガスが出る。手作業で島中に地下壕。全長28キロメートル。摂氏60度。水がない。食料がない。気が狂いそうになる。わずかな雨水を貯める。ボウフラが湧く。下痢する。栄養失調になる。戦争より、その方が苦しい。早く米軍が上陸しないかと思ったほど。しかし、玉砕はできない。一人当たり十名の米軍を殺さなければ死んではいけないという誓い
・アメリカは5日で殲滅できると思っていた
・36日間、日本兵は頑張った
・米兵死者7,000人、日本兵死者20,933人

両眼滝の如し: 成人の日 会長講演 (via nakano) (via saitamanodoruji) (via ritchantaiin) (via gkojax) (via petapeta) (via yaruo)